知恩寺・・百万遍知恩寺・・・浄土宗・・・法然・・・
1331年、京都に疫病が蔓延し、後醍醐天皇の勅により七日念仏百万遍を行い疫病を治めたことから「百万遍」の号が下賜された・・・
京都大学の吉田キャンパス近く(他は桂キャンパス、宇治キャンパス)
京都大学・・・・
法然・・・・・・
比叡山・・・・・
2009年11月3日火曜日
太秦・・・嵯峨野観光鉄道
京都観光の一つの目玉かもしれません
映画の撮影所があります
でも、なんで太秦=うずまさナンでしょう?
で・・・・調べたんですけど・・・正解は?
諸説あり・・と言うところですね
寒くなった京都の夜は底冷えです
嵐山の散策もほどほどに・・・・
でこのあたり一帯は秦氏が活躍したエリアだそうです
秦氏は朝鮮半島から来たようですが、
日本に、機織り、酒作りなどなどの文化を伝えたようです
この太秦にある、広隆寺は秦氏のお寺だったようです
近くには、蚕の社神社などもあり、秦氏の力が強かったんでしょうね
関東にも、秦野って言う地名がありますが、
ここもやはり、秦氏にまつわる土地のようです
秦氏は日本中に散らばっていたんでしょうね
秦氏は秦の始皇帝につながるんでしょうか?
もうすぐ、嵯峨野も紅葉まっさかりとなります
トロッコ列車に乗って楽しんでみてください・・・
映画の撮影所があります
でも、なんで太秦=うずまさナンでしょう?
で・・・・調べたんですけど・・・正解は?
諸説あり・・と言うところですね
寒くなった京都の夜は底冷えです
嵐山の散策もほどほどに・・・・
でこのあたり一帯は秦氏が活躍したエリアだそうです
秦氏は朝鮮半島から来たようですが、
日本に、機織り、酒作りなどなどの文化を伝えたようです
この太秦にある、広隆寺は秦氏のお寺だったようです
近くには、蚕の社神社などもあり、秦氏の力が強かったんでしょうね
関東にも、秦野って言う地名がありますが、
ここもやはり、秦氏にまつわる土地のようです
秦氏は日本中に散らばっていたんでしょうね
秦氏は秦の始皇帝につながるんでしょうか?
もうすぐ、嵯峨野も紅葉まっさかりとなります
トロッコ列車に乗って楽しんでみてください・・・
京都御所一般公開
京都御所一般公開が始まりましたね
御即位20年記念京都御所特別公開ということです
ですから、例年の一般公開をごらんの方も
ちょっと気にしてくださいな
特別な場所も・・・・・通常非公開の皇后宮常御殿,飛香舎,若宮・姫宮御殿及び朔平門もみられるのですね
11月10までですから、京都へお立ち寄りの方はいかがでしょうか。
御即位20年記念京都御所特別公開ということです
ですから、例年の一般公開をごらんの方も
ちょっと気にしてくださいな
特別な場所も・・・・・通常非公開の皇后宮常御殿,飛香舎,若宮・姫宮御殿及び朔平門もみられるのですね
11月10までですから、京都へお立ち寄りの方はいかがでしょうか。
2009年8月16日日曜日
六角さん
六角堂のオフィシャルサイト
誰でも知ってる、華道 池坊発祥の地ですね
なんでも聖徳太子が、四天王寺を建立するための材木を探しに来た???
職人に任せなかった・・・聖徳太子らしさ・・・とでも解釈しましょう
で夢のお告げで、如意輪観音を納め本尊とした・・・っそうな・・・
物部守屋にかったら四天王寺を建てると
如意輪観音に誓いを建てていたようです
池坊 と 生け花
太子が沐浴されたと伝えられる池跡があり、
この池のほとりに小野妹子を始祖と伝える僧侶の住坊があったので「池坊」・・・・六角堂のオフィシャルサイトより
ではなぜ華道か?
池坊の祖先は、朝夕宝前に花を供えて、代々いけばなの名手として知られるようになったそうです
大きな地図で見る
誰でも知ってる、華道 池坊発祥の地ですね
なんでも聖徳太子が、四天王寺を建立するための材木を探しに来た???
職人に任せなかった・・・聖徳太子らしさ・・・とでも解釈しましょう
で夢のお告げで、如意輪観音を納め本尊とした・・・っそうな・・・
物部守屋にかったら四天王寺を建てると
如意輪観音に誓いを建てていたようです
池坊 と 生け花
太子が沐浴されたと伝えられる池跡があり、
この池のほとりに小野妹子を始祖と伝える僧侶の住坊があったので「池坊」・・・・六角堂のオフィシャルサイトより
ではなぜ華道か?
池坊の祖先は、朝夕宝前に花を供えて、代々いけばなの名手として知られるようになったそうです
大きな地図で見る
2009年8月15日土曜日
京都タワー
京都タワー
初めて見たかたは・・・
なんで、ビルの上?と思うもんです
なんでや?・・・とね!
見慣れると・・・・・ほんま・・お寺さんのお灯明のようで・・・
なんや心が和む
というか・・・
やんわり京都の町中に、ろうそくがたってるような・・・いいでんな~
実は灯台をイメージしはったんやて・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
45年たつそうです
引用・・・・・IZAより・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
古都・京都を訪れる観光客らを出迎えるシンボルとして、JR京都駅(京都市下京区)の北側に高くそびえる京都タワー。景観上の配慮から低い建物が多い京都市街にあって、台座部分のタワービルを含めた高さは131メートルにもなり、地上約100メートルの展望台からは、古都の風景をパノラマで一望することができる。・・・・・・・・
・・・・・・・・・市街の町家の屋根瓦を波に見立て、山に囲まれた京都を照らす「灯台」をイメージしてデザインされた
・・・・・・・・・・・
なるほど!ですね
美しい瓦屋根が、今以上に多かったんでしょうね
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/290238/TrackBack/
初めて見たかたは・・・
なんで、ビルの上?と思うもんです
なんでや?・・・とね!
見慣れると・・・・・ほんま・・お寺さんのお灯明のようで・・・
なんや心が和む
というか・・・
やんわり京都の町中に、ろうそくがたってるような・・・いいでんな~
実は灯台をイメージしはったんやて・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
45年たつそうです
引用・・・・・IZAより・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
古都・京都を訪れる観光客らを出迎えるシンボルとして、JR京都駅(京都市下京区)の北側に高くそびえる京都タワー。景観上の配慮から低い建物が多い京都市街にあって、台座部分のタワービルを含めた高さは131メートルにもなり、地上約100メートルの展望台からは、古都の風景をパノラマで一望することができる。・・・・・・・・
・・・・・・・・・市街の町家の屋根瓦を波に見立て、山に囲まれた京都を照らす「灯台」をイメージしてデザインされた
・・・・・・・・・・・
なるほど!ですね
美しい瓦屋根が、今以上に多かったんでしょうね
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/290238/TrackBack/
2009年6月8日月曜日
祇園放生会
「祇園放生会(ほうじょうえ)」・・・6月7日
祇園巽橋(たつみばし)・・京都市東山区の辰巳大明神前で行われた
京都の初夏の風物詩・・・・舞妓らが金魚を白川に放流
放生会・・・放生会は、食べ物として口にする生き物を供養することで、殺生を戒める仏教の儀式をいうそうです
観光客が多いのは舞妓さん目当てとか・・・?
地蔵盆(じぞうぼん)も楽しみですね

祇園巽橋(たつみばし)・・京都市東山区の辰巳大明神前で行われた
京都の初夏の風物詩・・・・舞妓らが金魚を白川に放流
放生会・・・放生会は、食べ物として口にする生き物を供養することで、殺生を戒める仏教の儀式をいうそうです
観光客が多いのは舞妓さん目当てとか・・・?
地蔵盆(じぞうぼん)も楽しみですね
京都の地名・・・わからんです
壬生 ・・・壬生狂言とか壬生寺とか新撰組とかで有名でしょう・・・みぶ
花結 ・・・・はなむすび?・・・・はなからげ・・・ですって
栂尾・・・これは読めます・・・とがのお・・・栂尾山高山寺・・・白州正子・・・明恵上人
鹿ヶ谷・・・ししがたに・・・ですね・・・ひょうたんに似たおもしろい形の南瓜は、「おかぼ」と呼びます・・・鹿ヶ谷カボチャ・・・ですね
双ケ丘・・ならびがおか・・・これは有名です・・徒然草の吉田兼好が住んだところ・・・
大豆生 ・・・まめう・・・こちらは奥が深い地名です
参考サイトはこちら
京都ではないですが・・・
立売堀・・・・・・・いたちぼり・・・
wikipediaより
引用・・・・・・・・・
『摂津名所図会大成』によると 大坂冬の陣、夏の陣で伊達氏がこの付近に堀をつくり陣地を構えていたこと、その跡を掘り足して川としたことからはじめは伊達堀(だてぼり)と呼んでいたが、そのうちいたちぼりと呼ばれるようになった。後に材木の立売りが許されるようになったので漢字のみ立売堀と改められた、とのことである。[1
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
地名っておもしろいですね
花結 ・・・・はなむすび?・・・・はなからげ・・・ですって
栂尾・・・これは読めます・・・とがのお・・・栂尾山高山寺・・・白州正子・・・明恵上人
鹿ヶ谷・・・ししがたに・・・ですね・・・ひょうたんに似たおもしろい形の南瓜は、「おかぼ」と呼びます・・・鹿ヶ谷カボチャ・・・ですね
双ケ丘・・ならびがおか・・・これは有名です・・徒然草の吉田兼好が住んだところ・・・
大豆生 ・・・まめう・・・こちらは奥が深い地名です
参考サイトはこちら
京都ではないですが・・・
立売堀・・・・・・・いたちぼり・・・
wikipediaより
引用・・・・・・・・・
『摂津名所図会大成』によると 大坂冬の陣、夏の陣で伊達氏がこの付近に堀をつくり陣地を構えていたこと、その跡を掘り足して川としたことからはじめは伊達堀(だてぼり)と呼んでいたが、そのうちいたちぼりと呼ばれるようになった。後に材木の立売りが許されるようになったので漢字のみ立売堀と改められた、とのことである。[1
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地名っておもしろいですね
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